ラジオコントロール・ヒポポタマス

著者:高橋明文

 小雨の降りしきる中、イヤイヤながらも外出した。
 どうしても郵便局に出向かなければならない用事があったからだ。
 湿度の高い部屋の中にもいたくなかったが、雨が降っていると知ってて外出するというのも気の重い話だ。
 ついでに煙草と牛乳を買おう、とかなんとか、外に出る理由をいろいろ付けて、少し暗くなり掛けている家の外へ。
 霧雨程度の降りになっていたので、傘は持たずに、濡れたサドルを掌で拭い、チャリンコにまたがる。
 昨日までペダルを漕ぐ度にギッシギッシひどい音がしたものだが、雨に濡れてどこかの部品の滑りが良くなったのか、チャリンコは快適に走り出した。
 普段、稽古場に行く時間とも違うし、バイトに行く時間とも違うので、擦れ違う人達の年齢層が微妙に異なっている。
 今は、主婦層の時間帯なのだ。
 カゴ付き自転車の前には買い物袋を、後ろには小学校に上がる前の子供を乗っけた女性ばかりが、やたらと目に付く。
 俺と同い年くらいか、若いか、年を取っているか、凄く年を取っているか、
そんな女達が通り過ぎていく。
 そういえば、俺と中学時代、机を並べて学んでいた(あるいは居眠っていた)同級生の女の子達は、今頃何処でどうしているのだろう?
 俺が27になったってことは、彼女達も同じく27、8才になっているってわけだ。
 あの頃、どの子も可愛らしくて、俺はいろんな子を好きになったっけ。
 あの頃、触れることは出来なかったが、美しい肌と、弾けるような身体を誰もが持っていた。
 あの頃、誰しも小さな事でくよくよ悩み、国家間の対立や税金の支払いなんてのは、教科書の中の絵空事でしかなかった。

 大学には行ってしばらくしてから、後輩の新入生と付き合ったことがある。
 2つ年下の彼女を抱いたとき、その滑らかな肌や、柔らかくて、且つ張りのある乳房の感触等々(これ以上は生々しい話になるので割愛。)をたっぷり楽しんだ。
 半年ほどで、その関係が終わって、それから、5年ほど経ってその子をもう一度抱く機会に恵まれたことがあった。
 人間の肉体と云うものは、なるほど衰えるものなのだなと、ぼんやり思った。
 失礼な話もあったものだ。
 ただ、色気は何倍にも増し、弾く様な感触だった全てが、吸い付くような感触に取って変わっていた。
 悪い事じゃない。むしろ、良い事だ。進化したとも言える。
 ただ、その過程で、失われてしまったものもあるってだけの話。
 あの子達は、あの同級生だった女の子達は、どうなってしまったのだろうか?
 ある者は結婚し、ある者は独り身のまま、ある者は母親になり、ある者は故郷の土地を出で、ある者はこの国を捨て、ある者は死んでしまったりしているのだろう。
 それなりに落ち着いちまってるのか? 

それとも俺のようにフラフラと漂ってるのか?
 高校生になって演劇部に入った子が何人かいた。
 付き合いで彼女らの出てる芝居を見に行ったりもしたが、どいつもこいつもヒドイもんだった。
 ただ、舞台に立ち、観衆の注目を浴びる事の昂揚感や、演じることそのものにつきものの歓喜(言い換えれば、人を騙す快感)は見ていて痛いほどよく分かった。
 あの子達は今も、何処かで舞台に立っていたりするのだろうか?
 世阿弥の言葉に「時分の花」と「まことの花」という奴がある。
 本来の意味とは違うんだろうが、あの頃のあの子達は、まさに「花」そのものだった。
 その頃の俺は荒れて乾いた土だった。
 たゆまぬ努力によって咲かし続けるのが「まことの花」だという。
 散ってしまったのだろうか? 
 それとも満開咲きっぱなしだったりするのだろうか?
 俺は、あの頃の土を耕して肥料を混ぜたりしながら、種を蒔いてる。水をやったり、卵の殻で囲んだりしてる。
 でもなかなか芽が出ない。

 郵便局にたどり着き、役所からの手紙を受け取った。
 記されていた11桁の数字が、俺の事らしい。
 こいつをいくつか入れ替えれば、10の11乗分の1の確率であの娘達のうちの誰か一人になることが出来る。
 などと下らないことを考えながら、家路に就く途中、おもちゃ屋さんの店先にワゴンセールをやっているのを見つけた。
 一人暮らしが長いおかげで、主婦層の考え方が身に染みてしまっている。
 ワゴンセールだとかタイムサービスだとかに弱いのだ。
 一も二もなくチャリンコを停めて、早速品定めに。
 (ちなみに、この時点で「俺、別におもちゃ屋なんかに用事ないやん!!」というのは気付いているのだが、「安売り」という言葉にはとりあえず抗えないのだ。)
 益体も無いものばかりが並んでいた。
 50から、最大90バーセントの割引。叩き売りもいいところだ。  その山の中に、やはり山積みになって、小さなラジコンの「カバ」のおもちゃがあった。
 ピンク色でなかなか愛嬌のある顔をしている。
 定価は1800円だが、90パーセント引かれて180円。
 それでも売れ残って山積みになってる。
 可哀想な気がした。
 元々は1800円の価値を持って世に送り出されたはずなのに、時間の経過に伴い価値は下がり続け、ついには仕入値よりも安いんじゃないか? って値段をつけられて小雨振りしきる店先のワゴンに山積みにされて放り出されている。
 モノは自らを輝かせる為に努力しようったって、出来るものじゃない。
 時流に乗っているときには勝手に輝くが、そこから少し外れると途端にくすんでしまう。
 俺は、しばらくそのピンクのカバの入った、透明なプラスチックケースを手に取って眺めていた。
 ピンクのカバの笑顔。滑らかなプラスチックのボディー。コントローラーにはハートのマーク。薄く誇りの付いたケース。
 煙草が切れている事を思い出した。
 ピンクのカバをまた、その山に戻し、チャリンコにまたがり、牛乳と煙草を近所のスーパーで買って、にわかに強くなった雨足を気にしつつ、俺は家に帰った。

おわり。